田舎へ移住、という言葉をよく見るようになった。
私は田舎から移住した人間ですが、田舎と言っても北と南では気質も違うだろうし、一括りに出来ないですよね。
私は色々と閉鎖的な環境で18歳になるまで暮らしました。
決して穏やかな日々だったわけではありませんが、自然の豊さを全身で感じながら育ちました。
少し辛い思い出も混ざりますが、一つの参考事例として読んでもらえたらと思います。
田舎に不便は付きもの

最寄りの駅まで車で20分。バスは1日に4本。コンビニもなく、小さな本屋と喫茶店、寿司屋が唯一の娯楽のような場所だった。1974年〜1993年まで私はそんな場所で育った。
何もない環境というのはその分、余計な誘惑もない。
私が読書好きになったのはこの環境のおかげだが、実際、心の拠り所は本だった。
絵を描くことも大好きだった。物心ついた時からお絵描きの題材はお姫様。押入れの中、アルバムの中綴じ、いたるところにドレスを着たお姫様がいた。
理想や憧れが人一倍強い、そんな子供だった。
行き場のない矛先が向かった先
家にも学校にも居場所を感じられなかった私は、いつもお腹が痛かった。
自家中毒である。
そんなある日、私は親に買ってもらったリカちゃん人形の頭を、五分刈りにした。
今思い出しても不思議だが、リカちゃんに坊主が似合わないことぐらいいくら何でも解る。
あまり何か買ってくれたことのない親のクリスマスプレゼントだ。
リカちゃんの頭皮はまだらになり、見るに耐えない頭となった。
もしかすると、フェミニンな要素が強かった故あえてハズしたのだろうか…
思えば私はしょっ中紙を切っては何かを作っていた。
やることがないのと、作ることが大好きだったのと、何かをしていなければ心が壊れてしまいそうだったから。
閉ざされた人付き合いと希望

田舎の人は皆気さくでおっとりしていて朗らかと言うが、私の母は、この場所で退屈を持て余し、田舎なイメージとは無縁の人だった。毎日フルメイク、アクササリーを付けてマニキュアも塗っていた。
そしていつも夜何処かへ飲みに行ってしまい、さらに悪いことに、父と母はケンカばかり。
毎日不安で仕方なかった。が、周囲の人は私にこう言った。
「明るくていいじゃない」
「お母さんとよくお酒飲んで楽しいのよ」
誰も子供に関心を持たない。
まるで遠い国の、他人事のように。
日が変わるまで外でお酒を飲んでいても、周囲の大人は何も言わない。
それがおそろしかったし謎だった。
私の兄は口数が少なく真面目な人間なのだけど、何も言えずに、隠れて泣いていた。
何でこんなに辛い環境に生まれてるんだろうと驚いたし、幾度も自問した。
早く田舎を出たい。それが希望だった。
田舎を出てから私は幾度か引越しをし、今の地に自分のマンションを購入した。
今は本当に幸せだ。子どもともいい距離感を築けている。
自分が手にした幸せを、親がどう思っているのか、私は知りたくない。
自分達のように学びもせず、仕事も真剣にせず、諦めて生きていけと言う親に、私は自分で手に入れた幸せを見せつけたかった。
私はあなた達とは違う人間だと。
親に子供を自在に操る権利などない。
悲しいことなのかもしれないけれど、私が体験した事は事実であって、それを他の誰かに伝える事で昇華出来ると思っている。
私がどう生きてきたかの結果が、この今の環境だ。
田舎の人間関係は、一度構築されてしまうと中で何が起ころうと、歪んで許容されてしまう。
それは自然に反していることだと思う。
生きとし生けるもので変化しないものなどない。
空気も水も、木も川も全ては常に変化しながら、生気を保っている。
田舎には変化を好まない人達が長らく住んでいる。そもそも、変わりたくないから田舎に居る。
変化したくない=それは生きていると言えるのだろうか?
モラルや常識に反していても、それを客観視しようとする人間が居ない。
地域内の人間まで身内のように考え、監視し監視される生活。
「車が止まっている」「休みはいつ」「年収」「性格」あらゆることを把握したがる。それにたいし何か裁きを下せる権利があるかのような言動をする。
私はそんな大人たちにウンザリしてきた。
同じ話を日に何度もするし、何年経っても同じ話をしている。
悪化する環境にはただ見てるだけ。
これが私の知る、田舎の本質。
あくまで、私が知っている田舎の。
ある雨の夜、私は家を出た

中学生の時、私はある少女漫画に出会った。
ホットロード。
30〜40代の女性は読んだことがあるかもしれない。和希と春山に憧れたねえ〜。
そして中二病の私は家に居るのが嫌になって家出したことがある。
雨の中を…トレンディドラマのようだと(例:男女七人夏物語)自分が可笑しくなったのを覚えている。
家から飛び出たはいいが、何処へ行こうというのかね?と嘲笑うムスカが居ると思うぐらい行き場がなかった。
田舎も程が過ぎると、グレることすら出来ない。
雨に打たれるだけ打たれ、小一時間で私の家出は終わった。
親は特に何も言わなかった。
ちょっと出掛けたぐらいに思われていたかもしれないが、表現せずに居られなかった。
私には私の気持ちがあることを。
人生は決断の連続でできている
私は意を決し、18の時に本心を打ち明けたことがある。
親に本心を言うのは、勇気が要ることだ。
「あの時、いつも本当に辛かった。気持ちを全く解って貰えなくて」
4枚ほどの便箋に書き、目につくところへ置いたのだ。
ある日。
父は私にこう言った。
「オレは手紙が嫌いなんだよ」
私のしたことはムダだったと思った。
言って伝わる余地のある人間と、ない人間がいる。
全ては学びになる。
が、この時私は父の言葉に傷付いた。
親という存在が、私にとって、どんなものなのか未だに解らない。
世の中は白とグレーと黒が入り混じり成り立ってる。
実家を離れて早、28年が経とうとしている。
18年で吸収された、自分じゃない価値観を追い出しやるのに同じく18年かかった。
しかし、どんな環境に居ても、諦めないで居ること。
自分の置かれた環境に、どう思い行動するかで如何様にも生きることが出来るから。
人生は自分で下す決断の連続だ。
何処で生きようが、自分に正直で居られるならば、それが一番自由で幸せなことではないだろうか。
私は言いたいことを言えずに我慢した時期があまりにも長く、大変と思うことが多かった。
それは天が私に与えたワークのようなものだと今は思っている。
試行錯誤したからこそ、自分の言葉で誰かに伝えることが出来る。
やりたいことを既にしている人、自分のことを理解しようとしてくれる人に、何でもいいからコミットしよう。
違和感の中に、本当のあなたが眠っている。
