親と人生と夢。人は何かを得る時、何かを失う。

人間生きていれば大なり小なり辛いことはあります。

私は親との関係が一番大きい辛いことでした。

正直、親に関してスッキリした気分になることは死ぬまでないでしょう。

この記事を書くのは殆ど自分の為なので、タイトルに関心のない方はスルーアウトして頂く方が良いかと思います。

もし親と夢のはざまで葛藤してらっしゃる人がいたら、私のケースは参考にならないかもしれませんが多少のヒントにはなるかもしれません。結構個人的な話となっていますが、時には自分の為に何かを手放すことも必要だという話です。

親の不仲

私は母親のことが大好きでした。小学校6年まで。

そして父親のことはあまり好きではありませんでした。同じく小学校6年まで。

父と母は物心ついた頃から仲が悪くて、いつもお互いの悪口を言っていました。

特に母は直接父に向かって言えないので、その矛先が全部私にくるのです。

それでも母のことが大好きだった私は何でも聞いて、母の喜ぶようなことを思いついてはお手伝いなどをしました。

わがままな父と直接文句を言えない母。そんな母のことを少し不憫に思っていたんです。小学生までは。

しかし母がいい母だったかと考えると、何とも苦しい気持ちになります。

母は週の半分は夜になると家に居なくて、近所の友達の家にお酒を飲みに行ってしまう。

そして帰ってくるのは日付が変わった頃。

父が鍵をかけてしまうので母は家に入れないのです。

私が起きて鍵を開け母を家に入れる。そこから深夜にケンカになることもしょっ中で、そんな日はほぼ眠れませんでした。

母はいわゆる団塊の世代。

第一次ベビーブーマーの真っ只中に秋田で生まれ、高度経済成長期に金の卵と言われたかつての若者たちです。

母からは秋田に居た頃の辛い話などをよく私に話しました。

母は母親を早くに亡くしており、自分がどれだけかわいそうな目に遇ってきたかを夕食時に語るのです。

そして、自分の境遇や体験したこと意外、母の耳には何も入らないのです。

そんな可哀想な母だから、たまに外に飲みにいくぐらいいいじゃないかと、小学生の私は思っていました。

でも、今日も母が何処かへ行くんじゃないかと気にかけるのが本当にしんどくて、私は毎日学校でお腹が痛くなっていました。

田舎だったので変に友達に詮索されるのが嫌で、学校で家のことを話すことはほぼありませんでした。

でも一度だけ、小学校3、4年の時担当してくれた先生が私の事を気にかけてくれました。

家庭訪問した時に何となく家の様子を察知したのでしょう。学校で「大丈夫?」と聞いてくれたのです。

その時自分でも初めて、ホッとするような安心感を覚えました。そして教室で泣いてしまいました。

何も解らない小学生の頃に感じたこと、起こったことが一番辛かったですね。

家に帰っても安心出来ない、誰にも辛さを吐き出せない。

なぜなのかが解らない。

友達の家に行って初めて、母親ってこんなに温かい存在なんだと知ってびっくりしたものです。

母のグチを聞き続け、時には存在を否定されるようなことも言われ、私は母にとってのダストボックスのようでした。

親を一人の人として見る

それが中学になってしばらくした頃、突然母を見る目が一変したのです。

ただ母親で大好きと思い続けてきたけど、ちょっと普通じゃないと。

思えば幼稚園の送り迎えもしてくれなかったし、私の話をちゃんと聞いてくれた事もない。

近所の誰かと比べては私を否定することを言うし、一生懸命頑張ったとしても褒めてくれない。

母は自分意外の人を一切認められないんじゃないかと思ったのです。家族であれ子供であれ。

私は小学校まで俗に言う優等生タイプでした。

勉強も好きだったし、学級委員や生徒会副会長にも立候補して、全校集会では校歌のピアノ伴奏を任されていました。

無意識だったのかそういう先頭に立つ事を率先してやっていたのです。

親だけでなく周りにも私はすごいと思われたかったから。

近所の薬局に同級生の男の子がいて、そのお母さんがいつも私に言うんです。

「しっかりしてるし勉強も出来るしすごいなあ〜。うちのにも見習って欲しいわ〜」と。

でもその同級生の男の子は今お医者さんです。

私は中学に入ってから、急激に勉強が嫌いになってしまいました。

「果たしてこの因数分解が将来何の役に立つのだろう?」

そう思ってしまった時の、積木が崩れるスピード。

英語と国語意外、全くやる気が起こらなくなりました。

そして今まで必死に取り持ってきた母のこともどうでも良くなり始めたのです。

逆に母への嫌悪感と憎しみのような気持ちさえ湧いてきました。

もっと家が安心出来る場所だったら辛い思いをせずに済んだのに。

もっと私の話を聞いてくれたら良かったのに。

どうして父も母も自分のことしか関心がないのだろう?

それはただ父と母が弱いからだと。

そう思った時、今までの自分とは違う別人になったようでした。

そんな風に客観的に親を眺めたことで、私の中に無条件にあった母への愛情がふっと抜け落ちて行ったのです。

そして今までわがままで意地悪だと思っていた父への見方が少し変わりました。

母は人と普通に話をすることが出来ません。

会話らしいものは出来ますが、全てを否定するのです。

そして私は、母の中には沢山傷があるのだと気が付きました。

自分の傷が癒えていないから、他の人に優しくすることが出来ないのです。

私は今まで母の傷から生まれる言葉を受け止め続けてきました。そして私も傷だらけになった。

でもこの時から、母と私は違う人間になったのです。

母が私に理由なく浴びせる言葉を、これ以上受け止める必要はない。

私は母のようにはなりたくないのだ。

すごく悲しいことかもしれないけど…

母のように人や世界を知ろうともしないまま、自分の世界だけで生きたくない。

私に子供が出来たらきっとのびのびと自由に育てていきたい。私の分まで。

私が就職した後、母は家を出ました。

ずっとケンカばかりだと手紙に書いて送ってきていたのです。

出たかったら出ればいい。私に出来ることは何もない。

すると祖母から手紙が送られてきました。

父が一人で大変だから母を連れ戻してやってくれないかと。

どうして揃いも揃って…

そして私は母を説得し、母は家に戻ることになりました。

母も慣れない場所では心細かったらしい。

それからはケンカしつつも以前のような冷戦状態ではなくなりました。

母が家に帰った後電話で私に言いました。「おばあちゃんに、怒らないであげてって言ってくれたんだって?ありがとう」と。途中で泣いていました。

私はずっと普通の温かい家庭に憧れました。でも両親が不仲だと家は冷え切ってしまい、安全に過ごすことも出来なくなる。

将来なりたいものや学校の話とか、夢についてもっと沢山話たかった。

でもある時気が付いたのです。

父や母が知らないことをしてもらうのはできないんだと。

親が知らないことは子供に教えてやれない

父は一人っ子で結構わがままに育ったらしく。自営業をしていたがお店も家も全て祖父が準備したのだそう。自分で苦労して家や店を建てた訳じゃないので、お金に困るたびに祖父や祖母を頼っていました。

そんな父ですが何かにつけ知識が豊富で、何も知らなかった母は実は父を尊敬していたのです。

父は普段は趣味に時間を使っていて、釣り、山登り、盆栽、花の栽培、畑、パチンコなどなど、同じ歳ぐらいのお父さんなら毎日フルタイムで仕事しているのに、うちの父は一日の殆ど遊んでるという。

だからなのか、私が何か頑張っても褒めてくれたことがないのです。

褒められたくて色々したけど、褒めてくれることはなかった。

中3の頃、いつか子供が出来たら母のようにならないと、

母に向かって言ったこともあります。

すると母は「ああ。なるな、なるな」と言いました。

私は子供が生まれてから、無償で愛するとはこういうことかと何度も思いながら子供と歩んできました。

何をするにも理由がいらない。

いたずらをして他人に謝った時、学校をサボった時、本気で叱る。

そして子供が努力した時はしっかり褒めました。

良くやったねと言う。

これだけで人は自分を認めていけるのだと思う。

私は肯定されることが極端に少なかったので、とにかく自尊心が低かったのです。

他人が自分よりすごいように見えて、自分を低く設定してしまっていた。

だから20代はかなり葛藤しながら過ごしました。

自分と他人って一体何が違うんだろう…

みんな楽しそうに見えるけど、悩みとかないの?実はあるけど隠してるだけ?

そして同時に、鬱憤が一気に噴出するかのように

これからは自分を開放して新しい人生を送ろうと思いました。

ずっとヘラヘラしていたのが、段々自分の思っていることは曲げなくなっていきました。

結局後になってみると解るのです。自分の感覚が正解だと。

答えはいつも自分の中にある

誰が何と言おうと気持ちに嘘をつかなければ、後悔はしないのです。

そして今は、あの頃に想い描いていた以上に幸せ。

愛する子供がいて、離れてはいるけど愛する存在がいると言うのは、本当に幸せなことと思う。

他にも愛する犬やものや映画や人や、沢山好きなものがある。

父と母に私は今幸せだと伝えました。

親も親で今幸せだと思っているかもしれないです。

母は年老いてきてからというもの手紙で私に謝ります。何もしてやれなくてごめんねと。

謝られても何もしてやれないし、何をしてもらおうとも思わない。

年老いた親を大事に敬えとはよく言われること。

何も知らない人からは全然実家に帰らない水臭い娘だと思われていると思います。

でも私は今後実家に帰るつもりはありません。

親のことは近くに住んでいる兄夫婦に任せています。

もし私が親の言う通りにしていたら、今頃は死んだような人生になっていただろうと思うのです。親を大切にという気持ちに縛られて。

やりたかったこともやらず、憧れていた仕事もせず、いつしか自分の気持ちすらも麻痺していったかもしれない。

だから最後に言いたい。

自分の人生は自分が守る。

人生を変えて行けるのは自分だけ。

親は自分とは違う。このことを親に理解してもらう努力を忘れてはいけない。

そして自分の夢を諦める理由を親に押し付けてはいけない。死ぬ時にあ〜楽しい人生だったと心から言えます?

散文を最後まで読んで頂いて、どうもありがとうございました!^^